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絵描人、0084。

 

海と山に囲まれた普通の高校。校門の前に学校とは無関係の牛小屋があるのが有名だった。

入学してすっかり学校に慣れた頃、校門の前の牛が四頭脱走してそのうちの一頭が中庭にいて追いかけられそうになり、下駄箱にいたわたしは友達と一緒に大声で叫んで逃げた。

 

そんな高校一年生

 

以前からファンだった某歌手に数通ファンレターを送っていた。

その頃からよく楽描きをしていたので、ファンレターには文章の周りを小さなイラストで囲って封筒に入れてポストに入れた。

読んでくれているかなあなんて考えるだけで満足していた。そもそもその16年間で不自由と思うことは忘れる程満足に生きている。

 

そして牛に追いかけられた12月、冬休み前だった。

 

学校から帰ると台所に自分宛の郵便物が置いてあった。普通より少し大きめ。厚みがあった。

送ってきた人物の書いてある欄を見ると、テレビでよく見る有名な音楽会社の名前と、代表者の個人名だった。あの好きな歌手はこの音楽会社だ。

ちょっと驚きながら中を開けたら、一枚のCDと二枚の紙切れと名刺があった。パソコンで打たれた文字はマネージャーさんのものだった。

その歌手がミニアルバムを発売するから歌詞のところに入れる挿絵を描いて欲しいという内容だった。

同封されていたCDはそのミニアルバムに入れるまだ未発表の一曲だった。

まだ半信半疑だったがとにかく嬉しかった。二階にいた母親の元へマッハで駆け上がった。母親と好きなだけ騒いだあとその名刺の電話番号に電話をした。

かわいらしい女性の声がした。当時のマネージャーさんだった。

 

詳しい内容を聞いて言われた通りの絵を描いた。

持っていた画材はコピックくらいしかなかった。

ポップな人物のイラストを描いては封筒に入れて何度も何度も送った。

郵便局のアルバイトも始まって冬休みも始まったから宿題もしながら、コピー用紙に安っぽい絵を描いた。12月の半分はそれで終わった。

 

年が開けて2005年、

 

マネージャーさんからメールがきた。

歌詞の挿絵ではなくCDのジャケットにすることになったと書いてあった。

再び母親に叫びながら報告した。学校で仲良くもないクラスメイトに伝えた。一斉に囲まれておどおどしながら優越感に浸った。高校生のハートの生ぬるさを実感した。

CD発売前日、再び音楽会社から封筒が届いた。仕上がったミニアルバムが入っていた。

薄桃色に、鉛筆の線で描かれた女の子二人が寄り添っている後ろ姿。

CDの内側には「非売品」と書かれた小さな文字と、

それを歌っている大ファンの歌手の直筆メッセージが書かれていた。

 

言わずもがなそのCDは宝物になった。

宝物なんて安っぽい言葉だけど、宝物なんだ。今でも。

16歳が描いた安っぽいイラストだけど、

大好きな歌手のCDのジャケットになったこと。

それを機に自分のなりたい姿が180度変わって見えた。

 

一年生の終わり、二年生の始まりの頃

 

元々普通の大学に魅力を感じたことはなかった。絵が描きたいなら美大に行きたかった。そう思ってからの不安なんて覚えてもいない。

美大に行くにはとりあえずどうしようかと一瞬悩んだが「とりあえず」の言葉に身を任せて遊びに行くみたいに美術部に入った。

物静かな子ばかりの美術部内では頗る煩い人間だった。騒がしさで賑やかになったが、講師の先生にはもちろん何度も怒られた。

 

二年の冬、美術部で描いたF30号の水彩画が賞に入った。大潮展の大潮展会大賞。

美術部のみんなと講師の先生とで東京上野まで授賞式に行った。舞台に上がって偉い人に向かってド緊張しながら何か読み上げたのを覚えてる。

 

三年の夏と冬だけ河合塾へ行ってデッサンを学びに行った。生まれて初めてデッサンをした。

ずっと通っている塾講生はとても上手い。その中にいきなり放り投げられた気分はいつまでも拭えなかった。画用紙の裏と表もしらなかったし、描き方もよくしらない。基本的なことは一切教えてもらえないまま当たり前に進んでいく。

恥ずかしくて先生にすら聞けなかった。だから周りを見渡して技術を盗むしかなかった。理解しようと必死だった。とにかく他人がしていることを見て頭に叩き込むしかなかった。

そうして友達なんて一人も出来ずにデッサンには慣れた。慣れても一日だけ描けない日があった。描いているフリをしながら人知れず泣いた。

同じ目標を掲げている人間同士のはずが孤独だった。友達を作りに行っているわけじゃないからどうでもいいことだが、敵意を感じ合う塾講生たちを見ながら少し寂しく思えた。

 

必死で身につけたデッサン力も、今では後悔はない。

 

志望していた東京の有名な美大には行けなかった。第二志望で受けた名古屋の美大は自信があったのに落っこちて愕然とした。

高校の卒業式も終わった。大学は未だ決まっていない。

これで落ちたら浪人だという大学を受けた。

第二志望で書いた“総合造形クラス”という美術学科に受かった。

 

それから4年間、

名古屋造形大学に通った。